われわれの日常生活の中では、文字を書くということなしで過ごすことはできない。ワードプロセッサー等のコンピュータシステムが伸展すればするほどいっそう文字を書く機会が増すことになろう。現在、コピー機器の開発に伴う浸透度は目ざましいものである。それによって手書き文字は減少するどころか、増加の一方をたどっているのが実態である。各自の手書き文字が、それまでのガリ版の筆耕屋に肩代わりしたともいえよう。
一国の文化は、その国民の文字カで程度を計ることができるといわれている。他人や自分の書いた文字にはだれもが関心を抱き、文字に対する鋭敏な感覚をもっていることが、豊かな社会を醸成し、文化向上の原動力となるのである。
このような前提をふまえ、一〇〇年余を経過した学校教育における義務教育の立場から、文字に対する読み書き能力をはじめ、文字に対する深い関心、鋭敏な文字感覚を養うことほ、文字を書く際の基本的態度であり、教育の基礎であるとされている。
また、これからの国語教育は文章をもって表現する能力を養うことが主眼とされ、ますます文字を書く指導が重要になってくる。
文字学習は、文字が正しく、読みやすいことがまず第一であろう。正しさのために他の字種と区別されるべき点画の条件があり、読みやすさのために字形を撃えて書くことが要求される。そのために「ていねい」に書くことは極めて大切ではあるが、実際問題として速くしかもだれにも同一に読めるものを書かなければならない。したがって行書の必要性に迫られるわけである。
先人もこうした経験をもとに姿勢や執筆法、用具や用材の工夫、筆順や字形、与えられた用紙への配置、配列、書式など、貴重な資料を多く残している。特に中国の晋・唐時代における古法帖(古典)や奈良・平安時代の古筆などの書跡に至っては、この上ない宝典ともいうべきものが多い。これらの共有する公約数的(どの古典にも共有する)文字美の要素を探し、その内容を、書字上に役立でてこそ、宝典という名があるのだと思う。
この内容の把握の仕方、伝承の仕方こそ、教育によってなさるべきものであると思う。与えられた手本(教科書、古典法帖、名跡、古筆など)を見て書く(臨書といわれている)だけでは、段階によってはなかなかつかみにくい。観点がわからない。人間の生理衛生的な運動の原理によって書かれる文字を、科学的・系統的に配列し、次代の国民に伝承してこそ教育であり、先人の残した宝典も生きるのだと思う。
その意味で本書に盛り込まれた書写指導の基礎的基本的事項がお役に立てば幸いと思う。
昭和五十九年八月
著 者